バブル崩壊と企業経営の行方

バブル崩壊時のコンサルティング事例

高級家具メーカーの経営危機と資金繰り対策

前回のコラムに引き続き、私が帰国後にコンサルティングを行ったクライアントの事例を2社紹介します。いずれもバブル崩壊の影響を受け、経営破綻に直面した企業です。

まず取り上げるのは、ある高級家具メーカーの事例です。以前のコラムで、私が1985年に銀行員として最初に配属された国内支店で、この家具メーカーと取引した経験について触れました。

当時、私は飛び込み営業でこの会社の社長と関係を築き、1億円の預金を他行から付け替えてもらうことを条件に、1.5億円の融資を実行しました。この1.5億円のうち、1億円は元の銀行に預金として戻され、残り5,000万円の内訳は以下のようになっていました。

・高級外車購入:2,300万円

・ゴルフ会員権取得:1,500万円

・事業資金としての活用:1,200万円

このような資金の使われ方を見ても、当時のバブルの勢いがよく分かります。

私が帰国後、この家具メーカーの社長と再会し、会食を重ねる中で、コンサルティング契約を快く引き受けていただきました。当時、この会社は不動産バブルの恩恵を受け、高級家具の需要が急増していました。港区の一等地には大きな工房と2カ所のショールームを展開し、業績も非常に好調でした。

この企業の家具は、家具専門誌や住宅雑誌、さらには一般の情報誌にも写真付きで紹介され、テレビドラマのセットとしても頻繁に使用されていました。こうしたメディアの露出もあり、ブランドの知名度は急速に高まっていました。

私がコンサルティング契約を結んだ時点では、まさに順風満帆な企業でした。社長の自宅に招かれて開催されたパーティーには、芸能人や著名なアーティストが多数参加しており、華やかな雰囲気に包まれていました。

当時の私は、それを「バブルの象徴」とは捉えていませんでした。しかし、異様なほどの熱気を帯びた盛り上がりには、どこか違和感を覚えていたのも事実です。今振り返ると、その直感は間違っていなかったのかもしれません。

事業再生の提案と社長の決断

そのパーティーから2カ月後、社長と突然連絡が取れなくなりました。不審に思い、会社を訪れると、経理部が大騒ぎになっていました。理由は、当日決済予定の手形が、当座預金の残高不足で決済できない状況になっていたためです。

調査を進めると、他の定期預金や普通預金を合わせれば決済に必要な資金は確保できることが分かりました。そこで、私は経理担当者に銀行との交渉を指示しました。本来であれば、社長の判断を仰ぐべきですが、会社の存続がかかる非常事態だったため、即座に動く必要がありました。

しかし、ほどなくして銀行へ向かった経理担当者の女性から、泣きながら電話が入りました。「定期預金が借入金の担保になっていて、解約できない」とのことでした。

当時、銀行は「預担(よたん)」と呼ばれる取引を一般的に行っていました。これは、銀行預金を担保に融資を行うもので、取引先にとっては貸出金利と預金金利の差額が銀行の利益となるだけのマッチポンプ的な手法でした。この手法は行政指導により回避すべきとされていましたが、まだ広く行われていました。

私は銀行側に、「このままでは会社が不渡りを出し、貸付金全額が不良債権化する可能性がある」と説得し、最終的に定期預金の解約を承諾させました。こうして、何とか手形決済を完了させることができましたが、会社の財務状況は悪化し、手形決済以外の支払いが一切できない状態に陥っていました。

その日の夜、ようやく社長と連絡が取れました。社長は、「大口の売掛先である不動産ディベロッパーからの入金が遅れていたため、支払いを1カ月待ってほしいと交渉に行っていた」と話しました。

つまり、不動産バブルの崩壊がこの家具メーカーの資金繰りを直撃したのです。売掛金は1.2億円にまで膨らんでいました。現在であれば、私はファクタリングを検討するところですが、当時の状況では、売掛先の信用力が急激に低下しており、ファクタリングでも解決できるかは不透明でした。

この会社のコンサルティング業務の中心は、売掛金の回収と金融機関とのリスケ交渉になりました。私たちは、以下の点を重点的に見直すことにしました。

・1.2億円の資金繰りをどのように補填するか

・取引先の整理と取引継続の可否判断

・1年間の事業計画および資金繰り計画の策定

過去3年間の決算は毎期増収増益でしたが、利益は社用車、社長自宅(社宅)、高級ショールームの内装費、海外輸入家具の在庫などに充てられており、内部留保はほとんどありませんでした。月々の経費も膨大で、オフィスの賃借料、インテリアデザイナーの高額報酬、在庫家具の保管費用などが大きな負担になっていました。

金融機関から支援を受けるには説得力に欠ける財務状況だったため、私は資産売却を提案しました。

・社用車の売却

・社長自宅(社宅)の売却とリースバック

この2つの施策で、1.2億円の不良債権化した売掛金部分のキャッシュを確保できると判断しました。加えて、在庫の見直し、取引停止すべき企業の整理、固定費の削減を盛り込んだ事業計画書を作成し、金融機関に提出しました。その結果、借入金の元本返済を1年間猶予してもらう合意を取り付けることができました。

しかし、社長はショックを受けていました。私は、バブル崩壊後の市場環境では、現状のビジネスモデルは通用しないと説明しましたが、社長は「うちの家具は絶対に売れ続けるから大丈夫」と楽観的な姿勢を崩しませんでした。

そこで、私は事業売却を提案しました。

「現在のブランド価値が高いうちに、より大きな資本力のある企業に売却し、その資金を使って社長がやりたいインテリア事業を再構築してはどうか」と説得しました。

しかし、その時点でコンサルティング契約は終了となり、その後の会社の行方は分かりません。ただ、ほどなくして港区にあったショールームが閉鎖され、数年後には会社のオフィスもなくなっていました。

バブル崩壊の影響は津波のように企業を飲み込み、数多くの連鎖倒産を引き起こしました。この家具メーカーもその例外ではなかったのです。

金属加工会社の成長とバブルの影響

未公開株投資の失敗と経営悪化

今回紹介するもう一つの事例は、町工場から年商12億円規模にまで成長した金属加工会社の話です。この会社は、江東区や葛飾区の公園や公共施設のモニュメント、手すりや足場、造園設備などを手掛ける堅実な経営を続けてきました。

社長自らが旋盤を回し、施工現場で作業を行うほど現場主義の会社で、地方自治体だけでなく、マンション開発業者やテーマパーク関連の受注も増えていました。さらに、売掛懸念のある取引先とは契約しないなど、非常に慎重な経営方針を貫いていました。

バブル期の後半には、当期純利益が2億円を超え、会社の現預金残高も3億円以上に達しました。売上原価率は50%弱で、毎月の仕入れ支払は5,000万円程度、人件費や事務所代などの固定費は2,500万円程度に抑えられていました。事業の収益性は非常に高く、金融機関からも優良企業として見られていました。

しかし、この会社もバブルの熱狂に巻き込まれ、思わぬ落とし穴にはまることになります。あるとき、メインバンクから「未公開株を引き受けないか」という誘いがありました。

本来、日本国内の銀行は投資銀行業務を行えません。しかし、特定の未公開企業の新株を、証券会社を通じて取得させるという形で、事実上の投資を勧めるケースがあります。この会社の社長も、「お世話になってきたメインバンクを信用して」未公開株2.5億円分を購入してしまったのです。

銀行側は「この株が上場すれば5倍になる」といった言葉を投げかけ、社長を説得しました。さらに、担保価値の余力を根拠に1億円の追加融資を提案し、株購入資金の一部に充てることを勧めました。結果として、社長はメインバンクの言葉を信じ、未公開株の購入に踏み切ったのです。

しかし、バブル崩壊とともに株価は暴落し、未公開企業の新規上場の見通しは完全に立たなくなりました。

資金繰りの混乱と経営破綻

1991年春、私はこの会社とコンサルティング契約を締結しましたが、その直後に未公開株の購入が行われていました。バブル崩壊による影響で、株式市況は悪化の一途をたどり、投資先企業の上場計画は無期限延期となりました。

同時に、社長の自宅の担保価値も下がり、銀行側は貸し倒れリスクを回避するために、会社に対して資金の返済を迫るようになりました。

さらに、この会社の金属加工製品は主に土木・建設業界向けのものであり、不動産バブル崩壊の影響で新規案件が急減。売上は年商12億円から8億円弱にまで落ち込みました。事業自体は安定していたものの、売上減少と資金繰りの悪化が相まって、会社の財務状況は一気に悪化していきました。

社長は、バブル期の利益を生かして投資したはずの未公開株を処分することもできず、資金繰りが厳しくなっていきました。私は、むしろ金融機関と交渉し、リスケジュール(返済条件の見直し)を実施するべきだと考え、経営改善計画書の作成を進めました。

この会社には、優秀で誠実な従業員が多く、製品の品質や価格競争力にも強みがあります。実際の納品先でも高い評価を受けており、経営基盤さえ整えれば回復の見込みは十分にあると考えていました。

しかし、そんな中、「徳川の埋蔵金を探している」と称する怪しげな人物が社長の周囲に現れます。この人物は四六時中社長に付きまとい、「投資案件を紹介する」と言いながら、次々と新たな人脈を紹介しました。

そのたびに「手数料」として30万円、50万円、100万円といった金額が経理から仮払金として支出されるようになりました。周囲の人々の証言によると、「その人物は社長と出会ってから急に身なりが良くなった」とのことでした。

経理部長が不安に思い、私に相談を持ちかけたときには、すでに毎月600万円以上が「仮払金」として流出していました。その間、社長は会社を不在にすることが増え、営業の決裁が滞り、業務全体が機能不全に陥っていきました。

そして、1992年8月の暑い日、この会社は「手形不渡り」を出してしまいました。最終的に銀行取引は停止され、事実上の経営破綻となりました。

その当日も、社長は会社に不在でした。不渡りの知らせを聞いた従業員や下請け企業の社長たちが経理部に押し寄せ、混乱が広がりました。私も経理部長とともに対応しましたが、状況はすでに取り返しのつかないところまで来ていました。

メインバンクの担当者もすぐに駆けつけ、「まだ1億2,000万円の未返済債務がある」と告げ、社長の自宅に対して担保権を実行する手続きを進めると言い残して去っていきました。

私は銀行担当者に言いたかったのです。「あなたたちが無理に未公開株を勧め、社長を誘導した結果がこれだ」と。しかし、もはや何を言っても状況は変えられませんでした。

バブルの熱に踊らされ、慎重な経営を続けてきたはずの企業でさえ、こうして倒産してしまったのです。

社長は、未公開株という夢を見てしまったことで、会社だけでなく自宅も失い、築き上げた全てを失いました。これは、バブル崩壊が生み出した悲劇の一例にすぎません。

バブル崩壊が企業経営に与えた影響

銀行の対応と企業の苦境

バブル崩壊は、多くの企業に甚大な影響を及ぼしました。特に、金融機関の対応は、企業経営にとって大きな問題となりました。

金属加工会社の例でも、メインバンクが未公開株投資を勧めたことが経営悪化の大きな要因となりました。本来、慎重な経営を続けてきた社長でしたが、銀行の「上場すれば5倍になる」といった甘い言葉を信じてしまったのです。

しかし、バブル崩壊後、未公開株は公開の見込みが立たなくなり、資産価値が急落しました。それだけでなく、不動産バブルの崩壊による建設業界の停滞により、新規案件の受注が減少し、売上も大幅に落ち込んでしまいました。

さらに、銀行は融資した資金の回収を急ぐあまり、社長に対して返済を強く求めるようになりました。事業再建のために必要な資金を確保するどころか、融資返済のプレッシャーが経営をさらに圧迫していきました。

資金繰りに苦しむ社長のもとに、怪しげな人物が現れ、「徳川の埋蔵金」や「投資案件」などを持ちかけ、社長はそれに翻弄されてしまいました。その結果、仮払金として毎月600万円以上もの不明瞭な支出が発生し、会社の経営は混乱を極めました。

最終的に、1992年8月の暑い日に、この会社は「手形不渡り」を出し、銀行取引が停止されました。その日、社長は会社におらず、経理部には従業員や下請け企業の関係者が押し寄せ、混乱が広がりました。

駆けつけたメインバンクの担当者は、「まだ1億2,000万円の未返済債務が残っている」と告げ、社長の自宅への担保権を実行すると宣言して立ち去りました。

私は言いたかったのです。「銀行が未公開株を勧め、社長を信用させた結果がこれだ」と。しかし、もはや何を言っても状況は変えられませんでした。

慎重な経営を続けていた企業でさえ、バブルの熱狂とその崩壊の波に飲み込まれ、事業だけでなく、社長の個人資産までもが失われてしまったのです。

金融システム改革の始まり

このような事例を紹介すると、私がコンサルティングを担当した企業は、すべて破綻しているように思われるかもしれません。しかし、バブル崩壊の影響がいかに大きかったかを理解していただきたいのです。

当時、多くの企業が苦しみ、金融機関の対応は一貫性を欠き、場当たり的なものでした。企業の窮状に対して冷淡な対応を取る一方で、バブル期には過剰な融資を行っていた銀行も、経営危機に陥った企業を適切に支援することができませんでした。

私自身、銀行を辞めてコンサルティング業を始めたばかりの頃、いくつかのクライアントの悲しい結末を目の当たりにしました。そして、その経験を通じて、「護送船団方式」や「前例主義」に支配された銀行業界は、実はこのような経済の大変動を乗り越える力を持っていなかったのだと実感しました。

その後、日本は不良債権問題の深刻化に直面し、金融ビッグバンによる金融自由化が進みました。これにより、金融システムの改革が本格化し、銀行業界の再編や新規参入が相次ぐことになります。

このように、バブル崩壊は単なる経済現象にとどまらず、日本の金融システムそのものを大きく変える契機となったのです。

まとめ

本記事では、バブル崩壊が企業経営に与えた影響について、実際のコンサルティング事例をもとに解説しました。バブル期には多くの企業が急成長を遂げた一方で、過剰な投資や不安定な財務戦略が後に大きな問題を引き起こしました。金融機関の場当たり的な対応も、経営の混乱に拍車をかける要因となりました。

バブル崩壊後の企業の課題として、資金繰りの悪化、未回収の売掛金、金融機関からの融資圧力、事業再構築の必要性などが挙げられます。こうした問題は、適切な財務戦略を持つことで、未然に防ぐことが可能です。しかし、経済環境が変動する中で、自社に最適な資金調達や経営戦略を見極めるのは容易ではありません。

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HTファイナンスは、長年の経験と専門知識を活かし、企業ごとの状況に応じた資金調達の最適な方法を提案します。事業の安定化を図り、成長を支援するための融資サポートを提供しておりますので、ぜひお気軽にご相談ください。

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監修者 三坂大作
筆者紹介 ヒューマントラスト株式会社 統括責任者・取締役 三坂 大作(ミサカ ダイサク)

経歴
1985年 東京大学法学部卒業
1985年 三菱銀行(現三菱UFJ銀行)入行
1989年 同行ニューヨーク支店勤務
1992年 三菱銀行退社、同年資金調達の専門家として独立
資格・認定
経営革新等支援機関:認定支援機関ID:1078130011
ヒューマントラスト株式会社:資格者 三坂大作
貸金業登録番号:東京都知事(1)第31997号
ヒューマントラスト株式会社:事業名 HTファイナンス
貸金業務取扱主任者:資格者 三坂大作
資金調達の専門家として企業の成長を支援
資金調達の専門家として長年にわたり企業の成長をサポートしてきました。東京大学法学部を卒業後、三菱銀行(現三菱UFJ銀行)に入行し、国内業務を経験した後、1989年にニューヨーク支店へ赴任し、国際金融業務に従事。これまで培ってきた金融知識とグローバルな視点を活かし、経営者の力になることを使命として1992年に独立。以来、資金調達や財務戦略のプロフェッショナルとして、多くの企業の財務基盤強化を支援しています。 現在は、ヒューマントラスト株式会社の統括責任者・取締役として、企業の資金調達、ファイナンス事業、個人事業主向けファクタリング、経営コンサルティングなど、多岐にわたる事業を展開。特に、経営革新等支援機関(認定支援機関ID:1078130011)として、企業の持続的成長を実現するための財務戦略策定や資金調達のアドバイスを提供しています。また、東京都知事からの貸金業登録(登録番号:東京都知事(1)第31997号)を受け、適正な金融サービスの提供にも力を注いでいます。
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