2025.03.19
日本の金融システムの変遷と銀行融資の実態:バブル期から現在まで
日本の金融システムと銀行業務の変遷
バブル期の銀行業務と資金調達の実態
中小企業の資金調達を支援していると、ビジネス環境の変化を強く実感します。
特に中小企業の場合、旧来の金融システムに依存せざるを得ない現実があります。
私が銀行に入行した当時、貸付金は中長期向けの「証書貸し付け」と、短期資金需要に対応する「手形貸し付け」に大別されていました。
融資審査では、さまざまな担保条件が設定され、それをもとに融資の可否が決定されていました。
また、法人向け貸付の審査においては、企業の預金残高や売上金の受領指定口座の有無、従業員の給与振込口座数、さらには銀行グループ関連企業のサービス利用状況なども重要な評価基準でした。
例えば、生命保険の加入やクレジットカードの利用、さらにはグループの自動車会社の車両購入や引っ越し業者の利用など、企業活動のあらゆる場面において銀行の影響が及んでいます。
当時は、日本的経営の特徴の一つである「メインバンク制度」が強く根付いていました。そのため、中小企業は銀行との関係を強化するために、金融機関関連のサービスを積極的に利用する傾向があります。
こうした状況の中で、銀行は企業を包括的に取り込む戦略を展開していました。
高度経済成長が終わり、2度のオイルショックを経て日本経済は新たな成長期を迎えていました。いわゆるバブル期です。
特に都心の一等地では地価が急激に上昇し、企業の不動産価値も連動して高騰しています。
このため、当時の金融支援の審査では、事業の収益性よりも不動産価値の上昇を前提とした融資が主流となっていました。
私が配属された都心の支店も例外ではなく、不動産担保に依存した融資戦略が展開されていました。
本部から四半期ごとに課せられる「前同期比30%増」という高い目標を達成するため、支店内では詳細な営業計画が立てられていました。
驚くべきことに、入行直後の私に割り当てられた目標は、「貸付残高純増3億円、預金純増1億円」という、学生時代には想像もつかない金額でした。
この目標の根拠となったのが、支店の担当企業リストやテリトリー内の資産家リストです。銀行が支店を開設する際には、国内の調査部を活用し、詳細な資産情報や企業リストを作成していました。
これらのリストは週ごとに更新され、常に最新の資産状況が反映されています。
そのため、私が取引先を訪問すると、他行の行員と頻繁にバッティングすることもありました。
メインバンク制度と企業との関係性
バブル期の銀行業務は、いわば「椅子取りゲーム」のようなものでした。
新規の取引先を獲得する攻めの営業と、既存顧客を守る防衛策の両方が求められる厳しい競争環境でした。
その中で、日本的経営の「メインバンク制度」は、企業との長期的な関係を築く上で重要な要素でした。
メインバンク制度のもとでは、銀行は単なる資金提供者ではなく、企業の経営に深く関与していました。
銀行グループの持つさまざまなサービスを活用し、企業の資金繰りだけでなく、事業運営のあらゆる面で支援を行う体制が整っています。
このため、一度メインバンクとしての関係を築いた企業は、銀行との結びつきを強めるために、あらゆる金融サービスを利用することが求められていました。
こうした状況の中で、銀行員の業務は非常に多忙でした。
例えば、飛び込み営業で知り合った家具メーカーの社長と会話が弾み、結果として他行から1億円の預金を付け替えてもらうことができました。
見返りとして1.5億円の融資を実行し、社長はこの資金の一部で高級外車を購入し、さらに会社の運転資金に充てるという流れが一般的に見られました。
融資審査の稟議書に関しては、現在のように厳格な事業計画の提出は求められず、過去3期分の決算書と市場動向のデータがあれば十分でした。
当時のバブル経済の影響で、高級家具市場や内装業界は好調を維持していたため、審査のプロセスも迅速に進んでいました。
こうした環境の中で、銀行業務は非常に感情的な側面を持っていました。
担当者の裁量が大きく、取引先との信頼関係によって融資が決まるケースも珍しくありませんでした。
これは、現在の欧米型の厳格なリスク管理とは大きく異なる特徴であり、日本の金融システムが持つ独自性の一つでした。
バブル期の金融システムでは、企業と銀行の関係は非常に密接でした。
銀行員としての私の経験を振り返ると、当時の金融環境は現在とは大きく異なり、企業経営における銀行の影響力が強かったことが分かります。
融資の仕組みと銀行の審査基準
証書貸付・手形貸付と審査のポイント
当時の銀行業務は、まさに激しい競争の中での「椅子取りゲーム」のようなものでした。
それも、新たな取引先を獲得するだけでなく、すでに他行が関係を築いている企業の取引までも狙う、熾烈な営業活動が繰り広げられていました。
例えば、ある有名な家具メーカーの社長と偶然面談する機会があり、そこで話が弾んだことがきっかけとなって、新規の法人預金1億円を獲得しました。
その見返りとして1.5億円の融資を実行することとなり、新規飛び込み営業からわずか1カ月でこの成果を上げることができたのです。
結果的に、この取引が私の成績として反映され、預金純増1億円、貸付純増1.5億円という成果を手にしました。
この家具メーカーの社長は、移動させた1億円を再び元の銀行に預け戻し、さらに5,000万円の資金のうち、2,300万円を高級外車の購入、1,500万円を会社名義のゴルフ会員権、1,200万円を運転資金に充てました。
このように、金融機関を利用して資金を回すことが、ごく当たり前のように行われていた時代でした。
この融資の審査においても、現在のような厳格な事業計画の提出は求められず、稟議書には過去3期分の決算書と、当時成長を続けていた高級家具市場のデータを添付するだけで審査が通過しました。
不動産バブルの影響で、関連する内装業や家具メーカーの業績は右肩上がりであり、銀行側も積極的に融資を進めていたため、支店長の決裁もスムーズに下りたのです。
当時の支店長決裁権限は3億円まであったため、1.5億円の融資は十分に許容範囲内でした。
不動産バブルが与えた銀行融資への影響
こうした銀行業務は日常的に行われており、私も毎日20件近くの取引先ファイルに囲まれながら業務をこなしていました。
競争が激化する中、新規の事業主や企業との取引を獲得するための「攻め」の営業活動と、既存の取引先を維持し競合他行の介入を防ぐ「守り」の営業活動の両方が求められています。
この時代、日本的経営の象徴ともいえる「メインバンク制度」が根強く存在し、銀行は単に融資を行うだけでなく、取引企業の資金需要や資金運用ニーズに幅広く対応することが求められていました。
そのため、私が属していた銀行グループも、大手商社、生保、損保、運輸会社、機械メーカー、自動車メーカーなど、幅広い事業体をグループ化し、包括的な金融サービスを提供していました。
企業側も、銀行との関係を強固にするために、グループ会社のサービスを積極的に利用し、取引を維持しようとする動きがありました。
一度顧客として取り込んだ企業に対しては、銀行側もグループのあらゆるサービスを動員し、取引関係を継続させる努力をしていました。
このように、不動産バブルの影響を受けた銀行融資は、企業の事業計画や収益性よりも、不動産価値の上昇を前提にした審査が中心でした。
その結果、バブル崩壊後の金融機関の経営危機につながる要因となったのです。
当時の銀行業務を振り返ると、現在の厳格なリスク管理とは大きく異なり、銀行の融資判断がいかに景気や市場環境に左右されていたかが分かります。
銀行員の実体験から見る金融業務の変化
融資競争と企業の資金調達戦略
バブル期の銀行業務は、現在と比べてはるかに自由度が高く、担当者個人の裁量で取引が進められることが多々ありました。
特に、資産背景のしっかりした企業や著名な経営者に対しては、融資の審査や条件交渉が柔軟に行われることも珍しくありませんでした。
例えば、ある業界の大物とされる社長から、突如「明日までに50万ドル(約1億3,000万円)を用意してほしい」という依頼が舞い込みました。
為替規制が厳しかった当時、単なる資金調達ではなく、為替取引を伴うため、審査のハードルはさらに高くなります。
しかも、この資金の用途はロサンゼルス郊外の別荘購入の手付金というもので、通常の銀行審査では却下される可能性が極めて高い案件でした。
しかし、メインバンクがこの依頼を断ったことで、社長は私の銀行に期待を寄せました。
私は副支店長に相談し、審査部と資金為替部の調整を経て、条件付きで融資を実行することになりました。
その条件は、「為替取引で1%以上の収益を確保」「半年以内の返済」「2億円の生命保険加入」「他行から1億円の預金を付け替える」といったものでした。
これらの条件は、当時の行政指導の範囲を超える可能性がありながらも、銀行としては競争環境の中で必要な対応だったのです。
さらに、資金為替部との連携により、グループ内の大手商社が保持していた低レートの米ドルを活用することで、通常のスポットレートよりも4%以上有利な条件でドルを調達しました。これにより、社長の希望する「ベストレート」の条件もクリアし、取引は無事に成立しました。
銀行グループの総合力を活かした取引の実態
この案件が成功した背景には、銀行グループの総合力がありました。
審査部の迅速な対応、資金為替部の情報提供、そして大手商社とのパイプを活用した為替取引が、結果としてクライアントの期待を超える条件を実現することにつながったのです。 この取引により、社長との関係は一層強化され、今後の金融取引においても信頼関係を築くきっかけとなりました。
しかし、一方で、銀行の幹部クラスでなければ知り得ないような情報が飛び交い、時には行政指導に抵触するような条件が交渉材料として用いられることもありました。
これは、バブル期ならではの金融業務の一端と言えるでしょう。
この案件の後日談として、副支店長が取引成立の報告に社長を訪れましたが、社長は彼のことを覚えておらず、「君、誰?」と一言。私としては痛快な気持ちになりましたが、その日の夜、副支店長はなぜか上機嫌で、私に寿司をご馳走してくれました。
このような経験を通じて、バブル期の金融システムは、欧米流の金融工学やリスク管理とは異なり、担当者の裁量と人的ネットワークによって成り立っていたことを改めて実感しました。
日本の金融システムは、欧米から10年以上遅れているとも言われていた時代でしたが、その分、個々の銀行員の動き次第で、大きな取引が成立する可能性を秘めていました。
まとめ
本記事では、日本の金融システムの変遷と、バブル期における銀行業務の実態について解説しました。
当時の融資は、担保価値を重視し、銀行グループの総合力を活かした競争が激化していました。
しかし、バブル崩壊後は、融資審査の厳格化やリスク管理の重要性が高まり、資金調達の手法も大きく変化しています。
現在の企業にとって、最適な資金調達を実現するためには、自社の財務状況や事業計画に合った方法を選ぶことが不可欠です。
しかし、多様な選択肢がある中で、どの手法が最適なのか判断するのは容易ではありません。
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